<< 梅雨庭の風情 「足し算」の愉しみ >>

入梅前の庭景色

梅雨入り進む日本列島で、拙庭の植物たちも雨を待つ。
風にのって流れてくるのは薄灰色の雲。夕方になり湿度もグンと上がりつつある。

雨降りまえに花期の終わりを迎えた花ガラを摘もうと思ったが
思いがけないお子ちゃまお説教タイムに気力減退 ε~( ̄へ ̄;)ゞ マッタクモウッ!!
怒りのパワーは日中に使い果たしてしまったので、残りのエネルギーはほぼ皆無。
これで子どもを叱り諭すのは、正直シンドイ。
なんかこう・・・ああっもう! 愚痴はやめよう(汗)
気持ちを切り替えるためにも庭に出て、入梅直前の景色を撮っておこう /■\_・)パチリ

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庭入口。レンガの小道の反対側は・・・ジャングル(汗)
ニワナナカマドの枝がグ~ンと伸びて、小さな蕾が集まった花穂が広がり始めている。
今年はたくさんの花穂をつけてくれたので開花が楽しみだったけど・・・仕方ない。天に任せよう。

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次々と白い花を咲かせるドクダミたち。
雨降りまえに一回目の収穫を済ませてしまいたかったが・・・ああっ、また愚痴が ( ̄× ̄;) 口チャック!!

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ヒメコブシ下で咲いているのは、八重ドクダミ (^_^) アラマア、キレイ♪
それにしても、う~ん 「( ̄、 ̄=)....いよいよ緑葉ばかりになってきた。

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追記 06.04.22:15

お子ちゃまお説教タイムのその後・・・。
就寝前の落ち着いた時間に、改めて子どもと話をする。
そこで、ふと気づく。つくづくと・・・感じさせられる。
ああ・・・私も子どもたちもいまだ「死別の悲しみ」の中にいるのだと。
夫を亡くして茫然としていた私が
時間の経過とともに、怒りや困惑、喪失の悲しみを感じ始めているように
子どもたちもようやく、父親の死を悲しみ、戸惑い、悩み、もがいているのだ・・・と。
わかっているつもりで。わかっていた気になって。
諸共に受け止めようとしてきたけれど、きっと・・・全然・・・違うのだ。
「大切な人の死」をどう受け止め、どう乗り越えていくのかは
家族といえども個々人で異なるし、感じ方すら、悲しみ方すら、異なるはずなのだ。
だからこそ、家族が互いに支えあい、助け合い、見守り、導き、手を伸ばし・・・確かめ合う。
大丈夫か、と。大丈夫じゃなくたっていいんだよ、と。決して独りじゃないよ、と。
例えば、何かが(時には何もが)手につかなくなったって。
例えば、自分(の感情や言動)を抑制できないときがあったって。
例えば、泣けなくたって。逆に涙が止まらなくたって。
例えば、次のステップを踏むことに戸惑い、惧れを感じていたとしても。
何を恥じらい 、自分を責める必要があるだろう。
失ってしまったものはとても大きいけれど、変わってしまうことも多いだろうけれど
きっと変わらないもの手に入れられるものだってあると・・・いつか気づくはず。
だから、何もかも焦らずに。ゆっくりでいいのだ。
お互いに感情をぶつけ合い、気持ちを吐露する相手がいるのなら、とても幸いだ。
「辛い(つらい)」という字に棒を一本足すと「幸い(さいわい)」になるが
足される棒は、あなたを引き上げ導いてくれる腕かもしれないし
何かを見失いつつあるあなたに「道」を指し示してくれる一本の指なのかもしれない。
あるいは歩き続けるあなたを支える杖だったり・・・ふと足を止めて寄りかかるための「何か」「誰か」かも。
その時々でどの「棒」が必要なのか。どの「棒」が適しているのか。
あなたがどの「棒」を望み求めているのかは、私にもまだ判然としないけど。
その分、私はあなたとともに在り、悩み、考え、怒り、涙することができる。
例えか細くても、頼りなくても、私はあなたたちの母だから
あなたが独り立ちできるよう、そのときに応じた「棒」でいられるように努めるから。
私自身。あなたたちの「棒」に支えられ、随分助けられているのだから。
大丈夫、きっとみんなで少しずつ「倖せ(しあわせ)」になっていける。
だから・・・ちゃんと甘えて、ちゃんと頼って、自分の心と体を大切にしてあげようね!



2014年6月4日。明日は通院日のため、ブログはお休みです。
by. *niwanohana こと misuzu

 裏庭。勝手口前のヤマアジサイもいよいよ開花間近です (^_^)ニコ



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by jardinar | 2014-06-04 18:46 | *四季の庭景色
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